GREEN RECOVERY

お金に支配されない社会をみんなで

正しさ」とは

 

── 正しさとは違いを認め合うこと。

 人が人を評価する。その世界観での「正しさ」は、人間が自分のエゴを正当化するための手段や道具としてたびたび使われる。もしも人間のエゴが正当化されるのであれば、社会は悲しみの感情で支配されてしまう。

悲しみの感情とは、恐れ、怒り、憎しみ、哀れみ、妬みなどの感情のこと。悲しみの感情は自己防衛を同時に引き寄せるから、人は相手を攻撃するか、もしくは無関心を装うことで避難するかのどちらかの選択を迫られる。

 知性もしくは理性をなるべく完成させるように努めることは、自分もしくは他人のことをなるべく深く知ろうと努めること。自分のことをなるべく深く知ろうと努めれば、自分と他人との違いを知ることにもなる。それは違いを認め合い助け合うことを意図しているから、正しさとは違いを認め合うことに他ならない。

ニュートン'の振り子

Basic Income Lab

 

 

── お金もマスクも奪い合えば足らなくなる。足らなくなるから、もっと奪い合うようになる。ところが不思議なことに、与え合えば余るようになる。余るからもっと与え合うようになる。

持続可能で包摂的なBasic Incomeの実現には、世界中の全ての人が、地球人としてお互いに与え合う関係性を起こさなければならない。Basic Incomeの実現においての最大の課題は、実に原資やシステムではない。人と人との関係性である。

── 持続可能で包摂的なBasic Incomeのゴールは、お金に支配されない社会を共創することである。Basic Incomeの実現はその通過点のひとつに過ぎない。

私たちはその仕組みを考えようとするかもしれない。しかし実に仕組みは結果でしかない。私たちが最初に意識を向けるべきは人と人との関係性である。

それは自分の生き方や在り方に意識を向けることに他ならない。私たちが知性もしくは理性をなるべく完成させるように努める結果として、仕組みは起こる。

お金に支配されない社会は、人を手段や道具にしない社会。それは愛と知恵と人間らしさを引き寄せて、戦争のない社会を実現する。

風力タービン

経済復興における個の在り方

 

 

 

── 社会には証明できるものには価値があり、証明できないものには価値がないというような傾向が少なからずある。

 

その世界観は、社会は目に見える体裁こそがすべてで、社会のシステムが機能することが個の存在よりも優先されるというようなもの。

もしも証明できるものだけに価値がある社会があるとすれば、それは知性もしくは理性の存在しない人間の尊厳が失われた社会を引き寄せる。

人間の尊厳が失われた社会とは、人がシステムの中で手段や道具として扱われる社会のこと。その社会では愛や知恵や人間らしさは美徳ではなく、システムが機能することに価値がある。

 システムの管理者もまたシステムの手段や道具でしかない。システムのためにいかに人を手段や道具として利用できるかだけが評価される。この世界観での能力とは、いかに人を手段や道具として操ることができるかということを指している。それができない管理者はシステムから否定される。

 

 

 そもそもシステムは人を幸せにするためのもの。愛と知恵と人間らしさを循環させるためにシステムはある。少なくとも私はそう信じて疑わない。

 経済復興における個の在り方とは、知性もしくは理性をなるべく完成させるように努めること、それは愛と知恵と人間らしさを社会に循環させること。

グローブ

誰ひとり取り残さない社会

 

 

── 日常の生活を少し気にかけてみるだけで、自分にも無意識に人を手段や道具のように扱ってしまっている場面があることに気づかされる。

 誰ひとり取り残さない社会とは、人を手段や道具にしない社会のこと。人を手段や道具にしない社会を共創するためには、まず自分が人を手段や道具のように扱わないようにするほかない。

 世界中のすべての人が、自分の周りの人を気にかけることができれば、世界中のすべての人は自分の周りの人から気にかけてもらえるようになる。誰ひとり取り残さない社会は、自分が周りの人を気にかけるだけで実現する。

図書館の棚

人を手段や道具にしない社会の哲学

 

── 私たちは自分の正当性や価値を証明することに夢中だ。家柄・学歴・偏差値・職歴・役職・年収・資格・免許・受賞歴などなど。人間の承認欲求が満たされる。

 それに対して、証明することができないようなことは、誰からも褒められることも認められることもない。だからそんなことは面倒くさいだけということになる。

知性もしくは理性をなるべく完成させるように努めることは、実際かなり面倒である。そもそも知性も理性も完成することなどない。完成しないことを証明したところで、誰からも褒められることも認められることもない。

 それでも私たちは、知性もしくは理性をなるべく完成させるように努めなければならない。生きるとは、人間にしかできない面倒くさいことをすることだから。