地球人の学校
「正しさ」とは
── 正しさとは違いを認め合うこと。
人が人を評価する。その世界観での「正しさ」は、人間が自分のエゴを正当化するための手段や道具としてたびたび使われてしまう。もしも人間のエゴが正当化されるのであれば、私たちは悲しみの感情に支配されてしまうようになるだろう。
ここでの悲しみの感情とは、恐れ、怒り、憎しみ、哀れみ、妬みなどの感情のことである。悲しみの感情は私たちを受動的にして能動的な力を奪う。
そして悲しみの感情は自己防衛を同時に引き寄せるから、私たちは相手を攻撃するか、もしくは無関心を装うことで避難するかのどちらかの選択を迫られることになってしまう。
もしも私たちが知性もしくは理性と喜びの感情に導かれて能動的な力を発揮して生きようとするならば、自分と他人が不可分な関係にあることからは逃れられない。
ならば自分と自分の周りの人のことを、なるべく深く知ろうと努めて、良い人間関係を築くほかはなさそうだ。
そして自分のことをなるべく深く知ろうと努めれば、それは同時に自分と他人との違いを知ることになる。
自分と他人は不可分な関係でありながら、どうしようもない違いがそこにはあることに気づかされる。
そしてそれはお互いの違いを認め合い助け合うことを示唆していることも理解できる。
しかしながら、世の中なかなかそう上手くばかりはいかないことも然りである。法律やルールなどでは、お互いの違いを認め合い助け合う能動的な関係性を導くのは難しい。
ならばどうすれば良いのか...
私たちにできることは、私たち一人ひとりが自分の魅力の幅を広げ続けることである。それは知性もしくは理性をできるだけ完成させるように努め続けることに他ならない。
自分の魅力の幅を広げる...
この瞬間にできることはなんだろう...と自問自答を繰り返す。
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SDGsの目的は、誰ひとり取り残さない社会を共創すること。
誰ひとり取り残さない社会とは、自分と自分の周りの人を手段や道具にしない社会のこと。
日常の生活を少し気にかけてみるだけで、自分にも無意識に人を手段や道具のように扱ってしまっている場面があることに気づかされる。
人を手段や道具にしない社会を共創するには、まず自分が、自分と自分の周りの人を手段や道具のように扱わないようにするほかにはない。
世界中のすべての人が、自分と自分の周りの人を気にかけることができれば、すべての人は自分の周りの人からも気にかけてもらえることになる。
誰ひとり取り残さない社会は、自分が自分と自分の周りの人を気にかけることで実現する。
自分の魅力の幅を広げよう...